「二元論」という言葉を聴いたことがありますか?
物事は、相反する2つの原理や要素から構成されているという考えるで、例えば「善と悪」や「精神と物体」などのように、世界をある基準で二分割すること。
そこから、波及して「〇〇であるべき」とか「〇〇しなきゃ」というある価値観に縛られた考え方にも「二元論的思考」などと使ったりします。
一方、この世界は、一つのエネルギーが、いろんな形としてあらわれていて、全ては完全につながっているという考え方が「非二元論(ノン・デュアリティ)」と言ったり、その世界観を「全体性」と読んだりします。
仏教などの東洋思想はこの「全体性」の考えに近いと言えるでしょう。
今回は、この「全体性」のパラドックスの話。
僕がワークショップなどで使っている「U理論」や様々な手法でも、まずは、この「○○であるべき」という価値観の執着を手放すことを重要視しています。
今までのパターンを乗り越えるためにも、これは必要なこと。
でも、時々、乗り越えたようでいて、また新たな二元論に陥っているケースをよく見かけます。
それは、「二元論」は良くなくて、「全体性の世界」こそいいものだという考え…
もうお気づきでしょうか?
「二元論」を否定することは、世界を「二元論」と「非二元論」という2つに分けているのです。
我々のようなファシリテーターやコーチでも……
良かれと想う事がまた新たな断絶を創り出す。
皮肉ですね。
二元論も「〇〇でなきゃ」という自分も是非、受け容れてみてください。
いつもイライラしてしまう自分、上手くできない自分も自分の一部です。
そこには、自分でも気づいていない「肯定的意図」があったりします。
そこに断絶を作らず、「しょうがねえな〜」と言いながら、受け容れてみて下さい。
真の「全体性」はあなたの中にあるはずです。
そこから始めまてみませんか?
6/10(土)~11(日)レジリエンスジャーニーを開催します!
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自分をちょっと好きになるそんなワークショップです。