先日、「場作りファシリテーター養成講座」を開催しました。
その中で「問い」という事について皆で考えました。
ファシリテーションでの「問い」は2つの場面があります。
それは、自分の外(参加者)に対する問いと、もう一つ、自分の内(自分自身)に対する問い。
実は、ファシリテーションというのは、外だけの問いでなく、同時に内への問いをしています。
外への問いが無いときでも、常に内への問いを繰り返している感じです。
今回の講座では、この内への「問い」について皆で考えました。
ファシリテーションの場においては、予定どおりでなく、予期せぬ事が度々起こります。
期待している反応がなかったり、思わぬところから混乱するような発言があったり…
その時に、我々は無意識的に内への問いを行っています。
そして、この内なる問いにも2種類あります。
それは、
「探求者の問い」と「批判者の問い」
何か動揺するような事が起きると我々は無意識に「批判者の問い」をおこないがち。
これは、ファシリテーションだけでなく日常生活でも同じです。
人生は波乗りのようなもの。1つの波が過ぎれば、また大きな波がやってきます。
波風1つ立たない静かな湖面を望みがちですが、それでは何処にも行けません。
波が来たときに、「批判者」になるのか?「探求者」になるのか?
これは、大きな違い。
波が来たとき、「ようこそ。この波はきっと意味があるに違いない。どんなメッセージがあるんだろう?」
そうすることで、縮こまっていた身体が伸び、波に乗れるのです。
縮こまっていては、波にのまれるだけ。
今日あなたは批判者として生きますか?
それとも、探求者として生きますか?