「社会の構成要素はコミュニケーションである。」
これは、ドイツの社会学者ニクラス・ルーマンの提唱した言葉です。
ルーマンは、社会というのは、コミュニケーションを連鎖的に創り出すシステムだと捉えました。
そして、人間は社会の構成要素でなく、社会の「環境」であると。
「コミュニケーション」は。瞬時に消えてしまう「出来事」なので、絶えず新しいコミュニケーションが生成されなければ社会は存在できない。
ちょうど、「川」の構成要素が「水」でなく「流れ」であって、流れが絶えず出来なければ、それは「川」でなく、ただの「水たまり」のように。
この考えは、昨年私が合宿に参加し学んだシュマッハーカレッジの「ホリスティックサイエンス」に通じるもので、「生」というものは、ただ「生」が続いているわけではなく、「生」と「死」というプロセスを絶えず瞬時に繰り返している。この理論を知ってから、我々が普段やっている「対話」のプロセスが腹落ちしました。
我々がダイアログを行うときは、発言している人だけでなく、その会話の間に流れる「間」まさに「コミュニケーション」の創造と破壊を観察しています。
そして、同時に観察している自分の心の奥から生まれるものを感じ、それを「場」に投げかける。正にこの「コミュニケーションの連鎖」なのです。そして、それは瞬間瞬間に生まれては消えていくもの。
この「創造と破壊」が瞬間瞬間起きているのは、我々の身体でも起きていることです。
我々は、生まれてから連続した「生」を生きているように思っていますが、細胞レベルでは、毎日「生と死」を繰り返しています。爪や髪の毛が生え替わるように我々の細胞は瞬間瞬間「生と死」を繰り返しています。もはや、今日の自分は昨日の自分とは別人なのです。
それでも、人は「過去の自分」の連続した線上に「今の自分」がいると考える。そして、その思考が「自分はどうせ…」とか、「このままいったら…」という不安や苦悩を創り出す。
おかしな話です。
われわれは、今この瞬間しかなく、実は「過去」も「未来」も今の状況で瞬時に変化します。長年のトラウマや思い込みを抱えてた人がほんの数分のワークで、簡単に変わったりします。
決して、我々は連続した生を生きてはいないのです。
「今を生きていますか?」
その過去の連続を手放してみませんか?
6/10(土)~11(日)レジリエンスジャーニーを開催します!
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自分をちょっと好きになるそんなワークショップです。お逢いできるのを楽しみにしています。