僕は、自身の日々の中で、モデリングというものを良くやります。
これは、自分がアドバイスを仰ぎたかったり、モデルとしたい人(時には、人以外の植物や生物の場合も)の中に入ってみて、その人の五感や考え方などを体感するというもの。
そして、最近モデリングしているのが、「千手観音菩薩」いわゆる「千手観音」。
そう、手が一杯ある仏像を見たことある方も多いでしょう。
千手と言いますが、実際には42本の手があるのが一般的で、合掌している2本を除いた49本が、それぞれ25の世界を救うもんであり、「25×40=1000」であると言われています。
そして、それぞれの手には、様々な持物を持っているのが一般的です。
この千手観音菩薩をモデリングしている事は、同じ学びをしている仲間には、時々しているのですが、最近、その仲間のひとりから、
草場一壽という陶彩画家の描いた千手観音菩薩の事を聞きました。
「その菩薩は、手に何も持っていなくて、なんか、ひろさんっぽいって思った。」
早速、草場一壽という陶彩画家の描いた千手観音菩薩を教えてもらいました。(ご興味ある方は、こちらにきれいな画像)
たしかに、、、何も持っていない!!
最初は、いつも見慣れている千手観音菩薩との違いに違和感を覚えましたが、見ているうちに、その何とも言えないたたずまいに吸い寄せられました。
そして、「何も持っていない」ということが、「何でも持っている。」「何とでも繋がれる」という感覚に変わって来ました。
人の役に立ちたい、人を救いたいと思って学び経験したこと、ひとは、いつの間にかそれを握りしめてしまいます。
そうすると、目の前の人が転びそうになっても、手をさしのべられない。
全てを持つ。そして全てを手放す。
それは、すべてとつながるということ。
あなたの手は、ふさがっていませんか?
あなたが、たくさんの手でつながれますよう。
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