ある晩、ナスルディンの隣人ジャラミは、ナスルディンが街灯の下で四つん這いになって家のカギを探しているのに出会いました。
ジャラミも一緒に探したあとで、ジャラミがナスルディンに尋ねました。
「カギを落とした時、どの辺に立っていたか覚えているかね?」
「もちろん」とナスルディンは答え、
「あのあたりだ」
とふたりが探していた街灯付近から10メートルほども離れた木を指さしました。
「じゃあ、どうしてここを探すんだ?」
とジャラミが尋ねます。
「ここの方が明るいからだよ」
これは、「ナスルディンの鍵」という有名な逸話です。
笑い話のようですが、
我々は、ついついナタルディンになっていませんか?
神秘家ラビアの逸話にも同じような話があります。
探し求めているのは内側で失くしたものなのに、あなた方がみな外側を探すのを見てきました。
あなたたちの探し求める至福が内側でなくしたものなのに、
外側をさがしているのは、灯りが外側にあるからです。
あなたの眼は外がよく見えるから、
あなたの手は容易に外のものをつかめるからです。
あなたの知性を働かせてください。
なぜ、外の世界に至福を探すのですか?
それはそこで失くしたのでしょうか?
われわれは、ついつい自分の探しているものを外に求めます。
そして、何かを学び、そして、そこで鍵は見つからず、また学びます。
そうして、学びを続けることで、「鍵が見つからない不安」をかき消していく。
そうして、苦行の螺旋は続いていきます。
「外に神を求めないで下さい。」
あなたの鍵はどこですか?
あなたの内なる鍵を一緒に見つけませんか?
6/10(土)〜11(日)レジリエンス・ジャーニー〜ナスルディンの鍵を探す〜開催