雨音が静かな音を奏でている朝です。
今日は、「死」というものについて…
外科医という職業柄、いままでたくさんの死に立ち会わせて頂きました。
そして、数年前から行っているダイアログの場でも、「死とは?」というテーマは、幾度と出てきました。
そして、最近思っている事に変化が出てきました。
「死とは生の終わりではない」という感覚。
幾多の宗教などでも、いろいろな解釈がなされていますが、これは、最近、自己の中から出てきている確信めいた感覚。
死は、連続した生の終わりでなく、息を引き取るその瞬間に出現するものだ。
という感覚。
以前から思っていた疑問があります。
今まで、さんざん好き勝手やってきて家族を偽性にしてきた男性(ほぼ男性が多い)、時には酒におぼれ、時には家族に暴力をふるい、家には帰らず、借金だけつくる。
そんな方の最期の瞬間には、大きく分けると2つのパターンがあるようです。
最初は、どちらも「今まで散々好き勝手やってきたんだから、今さら家族といわれても知ったこっちゃない。」(なかには、死んだときだけ知らせてくれという方もいます)という感じです。
それが死の瞬間、そのわだかまりを継続するご家族と、死の瞬間に何かが生まれるご家族。
その2家族の違いは何?
何が生まれるの?
もし、死が生の延長だとしたら、その違いは無いはずなのに…
何が違うんだろう…
その瞬間に泣き崩れたり、抱きしめたり、表面上の反応は様々ですが、その瞬間に家族の中で、あらたな関係性が生まれる感覚があります。。
それは、過去にさかのぼるでもなく、ましてや、今までの延長でもない。
まさに、その瞬間に生まれる関係性。
死は、その瞬間に生まれる。
そして、生も連続でなく、その瞬間瞬間にうまれているんだなあと思うんです。
我々は、線のようにつながった連続性の上を生きてるので無く、瞬間瞬間の創造と破壊を繰り返しています。
あなたは、今日、何を創り出しますか?