先日、「わかりえないことから〜コミュニケーション能力とは何か〜」という書籍を読みました。
この書籍の興味深いところは、ちまたで溢れているコミュニケーションスキルいわゆる「伝える技術」が身につかない理由を「伝えたいという気持ち」の欠如にあるとしています。
そして、その理由を「伝わらない」という経験の決定的不足にあるとしているのです。
まず、「はじめからは、わかりあえない」という前提に立ってみるということです。
言われると、当たり前の事なのですが、我々は、心のどこかで「言わなくても解るよね」という前提を持ち込みがちです。
特に親しい間柄で
無理です。
だって、神様だって誤解するのですから。
日本最古の書籍である歴史書である「古事記」には、様々な神話が描かれます。
その中で、素戔嗚尊(スサノオノミコト)と天照大神(アマテラスオオミカミ)の一説があります。
スサノオノミコトは海を治めるように父に命ぜられるのですが、いつまでたっても「嫌だ!嫌だ!」と子供のように泣きわめく始末。
それが原因で父イザナキの怒りを買い、スサノオは追放されることになってしまいました。
そこでスサノオは姉にあたるアマテラスに挨拶して母イザナミのいる黄泉の国に旅立とうと、高天原へ上っていきます。そんな姿を見て、アマテラスはスサノオが高天原を奪いに来たと誤解してしまいます。
スサノオは「黄泉の国へ行く前に別れを言いに来ただけで、奪いにきたのではない」
と言いますが、アマテラスには、信用してもらえません。
そう、
神様にも他者の気持ちは解らないのです。
その証拠に神社では、神様に正確に伝える手段として祝詞をあげるのです。
NLP(神経言語プログラム)では、「地図は領土ではない」という言葉があります。
これは、我々がコミュニケーションとして使っている言語などは、真実そのものではなく、歪曲や省略・前提などが加えられた地図で、その地図は、真実(領土)そのものでは無いのです。
我々は完全には解り合えません。
でも、そこに立った時、相手の地図を尊重し、自分と共有する部分を見つけようとすること。
そこから、はじめませんか?