先日、『金剛般若経』全講義という本を読みました。
この本は、一見難しい本のように見えますが、非常に解りやすく書かれているので、仏教のことが全然解らない人でも読みやすく、おすすめですよ。
この本は、ブッダとその弟子であるスブーティーの問答を中心にすすんでいきます。
詳しい内容は、是非、読んでほしいのですが、
この本の大きなテーマは「空」について。
「空」って良く聴きますけど、解りにくいですよね。
この本は、「空」を大きな軸としながら、問答を重ねていくことで理解が深まっていくようになっています。
この中で、とても納得したのが、「空」についてというよりその対義語である「実体」について。
この本の中で、「実体」の定義を「それ自体で存在できて、変わらない本性があり、永遠の存在できるもの」としています。
では、ボクらは、「実体」でしょうか?
「それ自体で存在できてますか?」
他のものの力(人だけでなく、全ての存在)を借りないでそれ自体で存在できますか?
「変わらない本姓はありますか?」
試しに、「私は〇〇である」という言葉を思いつき限り紙に書いて見て下さい。
その殆どは、あるときにはあり、別の時になくなりませんか?それは「本性」でなく「属性」。
ボクらは、たくさんの属性によって、自分を定義づけています。
「永遠に存在できますか?」
性質だけでなく、その存在自体が変わりませんか?
こう考えると、ボクらは「実体でない」……これが、「無我」ということ。
そしてこの世に存在するもの・ありとあらゆるすべてが縁によって起こっています。
これを「縁起」と言います。
我々は、自分という区分はあっても、けっして 孤立した実体では、存在しえないのです。
全ては、縁起の世界。
これを読んで、今あなたの中では、何が起こっていますか?
あなたは、今日世界の中で、どんな存在でいますか?